ホリエモンとフジテレビ

落ち着きかけかけた模様
しかし, 今回の騒動は何だったんだ,<異様にマスコミがはしゃいでいた気がする。
マスコミに客観的報道を期待するのは無い物ねだりであるのは承知しているが,
主観的報道も危うい位お粗末になってきた。自らはしゃぎ過ぎて,スタンスがぐらついている.
朝日.vs.NHK も過去のものになってしまったし, 今回の思いこみ報道も反省する様子もない.

それこそ, インターネットで新のオピニオンリーダたるメディアを確率すべきだろうが,
これも実現不可能で有ろう.

ライブドア楽天/ソフトバンクともども,将来ビジョン・構想など微塵も感じない。
今の収益にしか目が向いていないのは自明だ。

ホリエモンに信長性を期待して,破壊者になって貰いたかったが,それ以前に自滅しそうだしな.

湯鬱になるばかりである

ホリエモンは信長になれるか

 フジ.VS.ホリエモンは ライブドアが [あまりにも杜撰で場当たり的]に映る.
しかし,
信長の行動が,一般には理解できなかったが,信長が近世の礎を築いた功労者で有ることを考えると. ホリエモンはタワケに見えるが,後の世で見ると,新世代の功労者で有るかも知れない. ホリエモンの意図が見えないし,理解できないのは私が凡人なのだろう。
  そうは言うものの,単純なオッチョコチョイなのかも知れない.いずれにしても,判断が付かない. しかし, もっと暴れてくれて,既存の仕組みを破壊して欲しい.
硬直しきった現状の社会は,一度,再構築が必要だと考えるから,なおさら,信長で有って欲しい. その後に,秀吉/家康に相当する人物も現れるだろう

JIS丸め

VBで算術計算する時,丸め処理されるが, 単純な四捨五入されると錯覚して,ドツボにはまったことがある.
元の整数部が偶数の時は,四捨五入だが, 奇数の時は,五捨六入される.

システム的には,仕様だから, 致し方ないのだが, 納得しがたい面もある。

確かに 通常の四捨五入だと 0.5 を加えて,引く処理を繰り返した時,元の値から遠ざかってくる.
これを防ぐために考え出されたものが JIS丸め (世界標準?) なのだが.
実社会では知られていない。

これが不思議なのである. 数学的には,JIS丸めが大事なのだろうが, 実務の計算では,一度だけの四捨五入で結果を
出すのが多い. しかも業務アプリに要求されるのは,単純な四捨五入である。 VB(MS)はアカデミックとは言い難い製品なのに
,JIS丸め関数を実装し,通常の四捨五入関数を実装していないのが摩訶不思議である。

VB.でcallbynameを使うのは邪道か?

VBに callbynameという命令がある。
VB6 の時は、結構重宝してい使用していたが, .netになり,リフレクション経由でcallするのが正式だと言われて,そうしてきたが, Callbynameのほうがお手軽ですっきりしている感じがする。
 strict on にしていても問題なくつかえる。
この手の課題に面すると悩んでしまう。 お手軽ですっきりしていてても邪道なのだろうかと。
<変数名に日本語を使うのは邪道>とよく聞くのだが, 確かに,誤動作を引き起こすときもままあるが
VB6以上では,内部はUnicodeであるから, 日本語でもOKな気がする。

結論ありきになるのだが,制作者側が自己完結していれば, OKであると筆者は認識しているのだか、どうなんだろう。

ますます子供なマスコミ

平成教育委員会が放送中止になったり,
ラグビーの中継が , 朝日のロゴ入りユニフォームにイチャモンをつけて
録画に切り替えたり,元にもどして中継したり,

番組作成のポリシーはどこに行ったんだ。
内部軋轢にあっさり屈するのだがら,外部圧力に屈するのも当然だ。

ニッポン放送 VS ホリエモン

ホリエモンニッポン放送の株を30%だか 50%だかを取得したそうだ。
正当な経済活動だから問題はないのだが, ニッポン放送の子会社であるフジテレビとの間が問題化している。

 筆者が違和感を覚えたのは, フジテレビがLive Doorの発言力封じに出たことだ. 私企業では 株主は最大のは権力者である
それにも関わらず, フジテレビの経営者が先制攻撃にでた。
そればかりか,ホリエモンが出演している番組の中止を決めた模様.
これには呆れた. 経営者の好き嫌いで,扱い商品の可否を左右するのは、
技倆が狭すぎる。 先日の NHK.VS.朝日の一件もそうだが,マスコミのレベルが低すぎる。

NEETに想う


と社会問題視されいている。

筆者のスタンスは、【働かざる者食うべからず】だから
問題視するは大いに賛成だ。

しかし、ふと疑問に感じることもある。

 団塊世代の人たちがガンパってくれたお陰で、
終戦直後の貧しい社会から今の幸福な世界になった。

(*)終戦直後の主要都市は貧しかっただろうが、地方都市、農村部はそうでもなかった.とする説もある。
筆者もそう想うが、とりあえずここでは、終戦直後は貧しかったとしよう


昭和30年から50年代にガムシャラに働いた人々は、<将来は無理な仕事をしないで、そこそこ安定した暮らしが可能な社会にしよう> と頑張ったそうな。

その面から云うと、働かなくても人並みな生活ができる人々が増えるのは夢が叶ったことではないか。

裕福になってくると.

労基法もそれに準じて, 週休2日 40H 制を 強要する.<残業は悪である>とキャンペーンを張る。

働くな!! と聞こえる

(労基法適用はそこそこ以上のサラリーマンに限られるのですよ
自営業/零細企業の人々には無関係な話だ。(筆者も含む)
筆者の業界では <月に一度休みが欲しい>という人が多々いる。
貧富の差はますますひろがるんだろうな。
)

働いていると称する人々でも、社内失業者も多いし、何もしないて高給を貰っている人々も多い。
ぶらぶらしているのに金を持っている人も結構いる。

そんな社会だから、NEETの存在できるのだ。NEETを否定することは、今の社会機構を否定することだと、筆者は考える。

とはいえ、NEET の連中は精神的に未成人だから何とかしないと腐敗するとも思う。